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遅まきながら状況を書いて見ます。
○客観的構造
天界
アース
ルニカの船
ゼロアース
地上
ゼロスパイア
(ゼロソード・ゼロウォン・ゼロミー)
客観的に把握できる事実はこの、在所だけです。
○ゼロアース説
アース
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ゼロアース
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ゼロスパイア他
ゼロアースの発言を全て真に受けるとこういう構造になります。
しかし、問題はその発言を検証する手段が「一つもない」ということです。
○俺理解
アース(天界)
ゼロアース
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ゼロスパイア 旧アースノヴァ一派(てゆーかドルゴ)
わかりにくいので解説。
まず上記の理由「ゼロアースの言ってることはゼロアース本人が言ってるだけなんじゃないの? 検証できないし」という考えを元に、「自称・アースの使徒」のことをアースがどう扱っているかを調べてみますと。
「何にも言ってない」
ということがわかります。従って状況的には、俺がいきなり「余はコリーアの使徒である」と名乗り始めたようなもので、公的なお墨付きは一切出ておりません。
ここから、聖神アースとゼロアースの間に、特に双方的で公的な繋がりはない、という仮説を立ててもそれほど無茶ではないでしょう。
この際ネックとなるのは、「じゃあなんであいつあんなに強いの?」ということと、「どうしてアルカリスがくれた石で登れる船を管理してたのん?」という二点です。
この点に関して結構悩んでたのですが、かの竜帝(名前は伏せます、って意味ね―ジャン)から示唆を受けて一つ、可能性のある説が立ちました。
ご存じのとおり、かつて大陸に栄華を誇った旧帝国ストーンカは、現在の人類のレベルからは想像もつかないような強大な技術力を誇っていました。
その技術を独占したコリーアは自らを「神」と名乗り、つい数年前まで世界をコントロールしていたわけですが。
この、超文明内で、コリーアとの権力争いに負けた一派があったのではないか、というのがルのつく人の推論でした。「故に、彼らは天界のコリーアに対抗すべくルニカを作ったのではないか」と。
仮にここへゼロアースを当てはめてみると、話がわりと整合性を持ってまとまります。
かつての超文明の所属で、コリーアには負けちゃったけど現代の我々から見たら驚異的な力を持ってた人たちが、密かに暮らしていて。
その人たちが、どういう理由でかは知らんけどアースを信仰するようになっていて、かつてはジオスらに対しても、アースノヴァという兵器を供与するなどして協力していた。
思い出して欲しいのだけれど、旧アースノヴァには「いわゆる、宗教家としての」アース教徒は意外に少なかった。ドルゴあたりは、アース教を信仰することで、武器供与がなされるという点を重視していた面があると判じても良かろうかと思う。
さて。では何故ジオスたちはゼロアースから武器供与を受けることが出来たのか。ジオスは宗教の威光を傘に着て自らの侵略を正当化していた「モノホンの宗教の人(今で言うアメリカ大統領)」だったわけで、なんであんなキッティGUYにブレイドを渡したのかは疑問に思われるところだが。
今回、ゼロアースがゼロスパイアという子飼いを使って仕掛けた騒動を見れば、なんのことはない。ゼロアースは「人々を適度に凹ることで、神に対する依存心を高めることができるであろう」という冷徹な計算に基づいて、世界に敢えて混乱を与えている。
ゼロスパイア騒動がゼロアースによる自作自演であったということから、「ある日突然世界に超強力なマレビトが現れて世界が大混乱に陥る」という面で、非常に良く似た構造をもつ旧アースノヴァの騒動が、同じ意図によって起こされたと推測してもそれほど無理はないように思う。
さて、このように仮定してみると、「世界を混乱させるために」武器をばら撒くゼロアースが、旧アースノヴァ勢力にさらなる火種、「ルニカの門を開く石」を渡していたことも理解できる。アルカリスは善意で配ったのだろうが、ゼロアースは「ルニカ起動によってもたらされる状況」の方に用があったのだろう。
ただ、アルカリスはマリムと行動を共にしていたわけで、そのマリムの「中の人」は、単純なジオスとは違い、おそらくゼロアースとはお互いに利用し合う間柄だったわけで。
そのドルゴが、本件に関しなんらのリアクションを起こさないところは解せない。
閑話休題。
そんなわけで、ゼロアースを「神の威光を高めるために、自作自演で世界にマレビトよりの侵略という事件を起こすことを使命と考えて暮らしている、コリーアに準ずる程度の力を持った旧帝国ストーンカの生き残り」と考えることで、現在の状況の七割くらいは筋が通ってくるのではないかと考えました。
あと一発、「なんでアースを信仰しているのか」ってところだけ解明できると完璧なんだろうけれど。ただ、これに関しては「あいつホントにアース教なのかどうかはわからねえ」ということもあるので、まだ保留。
で。
長々書いたけどこれで何が言いたいかというと。
まず、「アース教」ってのは形のないもので、そのあり方は色々ですよね。
本当にアースを信じ、自らをその使徒と信じて、宗教的威光のもとに世界を統一しようとしたジオスもアース教。
神という「システム」の存在に重きをおき、その威光を守るために、重心の有り難さを知らしめるために世界に揺さぶりをかけてのけるゼロアースも、ちょっと疑問は残るがアース教。
ほいだら、「アース教ネヴァモア派」はどんなですか、という話です。
これを正解だと言う気はないけれど、俺が一応分析したところの解釈からは、ゼロアース派のアース教はネヴァモア派とは大分違うでしょう。モノが違うでしょう。
そもそも名前が違うでしょう。名前が違うから、当然意味も変わってくるでしょう? ミキコOK? OKミキコ?
失礼。まーそんなわけで。
部外者からの無責任な意見としては、これだけモノが違うアース教ゼロアース派の活動を擁護するために、ネヴァモア派が苦労する必要は全くナッシングと思うことしきり。
そもそも、「アース」自体は、言うなれば「世界を管理するシステム」であって、良いもでも悪いものでもなく、そういった面を超越して存在する「ところに意味がある」のだと思いますから。
何らかの「思惑」を持つことはそぐわない。なんらかの思惑を持って行動するのは、それはもう「人格」であって「カミ」ではない。
ゼロアース自体も、「アースが命令したからやりました」とはどこでも言ってない。彼は彼なりの信念があって「勝手に」やってることなんだろうと解釈します。
アース教徒として「アースに逆らう」ような真似は出来ない、というのは一つそれとして、しかしアースは神なんだから、人格がないんだから、そもそも逆らいようがない。
そしてアース教ゼロアース派の行いに関してまで、全てを肯定して擁護する義理があるのかといったら、ないでしょう。
と、そのように考えました。
今回の色々でアース教の立ち位置について悩んでいる人がいたら、こういう意見で少し縛りを解いて考える材料となれば嬉しい。長々と失礼。
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