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久々にこんなものを書いてみました。
アース教の教義を考える上で問題になりそうな点について、
私と謎の質問者が質疑応答を行うという設定になっています。
ショットマイン司教にはお手数ですが、
「アース教教説集」内の新コンテンツとして
以下の文章を収めていただくようお願いします。
なお続編も予定しております。
――
問答1 不要な知識は存在するか?
「アース教は常なる『成長』を目指すという教えと聞き及んでいます」
「いかにもその通りです。『成長』はアース教の根本概念の一つです」
「そこで私はお尋ねしたいことがあるのです。
『現在の状態』と、それと比較され得る『より良い状態』。
『成長』という概念にはこの二者が内包されていると思うのですが、
一体アース教で言う『より良い状態』とは何でしょうか」
「大変良い質問だと思います。『成長』の概念は仰る通りでしょう。
では『より良い状態』とは何か。まず断っておかねばなりませんが、
私自身その問いに完全な答えを出すことは不可能です。
良し悪しの観念は多分に多面的な側面があるのが理由の一つです。
そもそも不完全な存在の私が、そうした多面的である筈の基準を
あたかも神の如く一刀両断して規定するなどということはできません」
「では『成長』の先にある『より良い状態』は人それぞれという訳ですか。
それでは随分曖昧で覚束ない気がします。
人によって『成長』の行く先が違うのでは、それを一つの目標として掲げ、
宗教として奨励していくことなど不可能ではないですか」
「いえ、何も私は『より良い状態』があらゆる意味で多面的だとは考えません。
例えば知識の多寡の問題。これは誰もが知識は多い方が良いという点で
意見の一致をみるものと私は考えます。
つまり『知識がある』は人それぞれでなしに『より良い状態』な訳です」
「今の例ですが、些か納得いたしかねます。
『知識がある』事が果たして万民一致の『より良い状態』なのでしょうか。
無駄な知識を無くしてすっきりした頭でいた方が良いとは
よく聞かれる言説ではないかと思います」
「その点に関しては私は見解が異なります。
まず私は『無駄な知識』なるものは厳密には存在しないと考えています。
確かにほとんど役に立たない、どうでも良いような知識は存在します。
ですが、どんなに下らない知識でも、もしかしたら働ける時が来るかもしれません。
ところが最初から無い知識は未来永劫活用されません。
してみると、あらゆる知識には有用となり得る『可能性』が存在します。
ならばどんな知識でもあるに越した事はないでしょう。
『無くても差し支えない知識』と『無い方が良い知識』では意味が異なります。
前者は存在するかもしれませんが、後者は存在しないというのが私の考えです」
「人殺しの知識であっても無駄ではないと仰るのですか」
「そうです。例えどんなに恐ろしい知識であっても、知識それ自体に罪はありません。
知識を用いて実際に害悪を為す咎はその人の心にあるのであって、
知識の存在がその人を突き動かしている訳ではないのですから」
「しかし殺し方の知識があればこそ、人は殺人に及んでいくという面もあるのではないですか。
例えば私は『人間の首を長く締め続ければその人はいずれ死ぬ』という知識を持っています。
この知識がある限り、私が今この場で誰かを絞め殺す可能性もあるでしょう。
ですが、最初からこの知識を有していなければ、
少なくとも私が今この場で誰かを絞め殺す可能性は0に近くなります」
「なるほど、それは仰る通りでしょう。
ですが、その考えを推し進めていった先は、果たしてどうなるでしょう。
『何も知らなければ何事も為さない』という考えに行き着きませんか。
確かに生まれてから何事も教わらず、学ばない――言うなれば白雉の人間が、
誰かに悪意を持って襲い掛かるという可能性は皆無に近いでしょう。
白雉ばかりの世界が実現すればこの世から悪は消え失せる訳です。
しかしそれは本当の意味での問題の解決になっているでしょうか。
あなたはそのような世界を肯定するのでしょうか」
「勿論、否定します」
「それともう一点。あなたは『人を殺す知識を有する→人を殺してしまう』
ような人ばかり想定しているようですが、それ以外に
『人を殺す知識を有する→でも人を殺さない』人だっている訳です。
寧ろこちらの方が多数派でしょう。
つまり、同じ知識を有しつつ、何か他の知識や心情といった要素次第で
人は善にも悪にも転じ得る訳です。
してみれば個別の知識それ自体に善悪のレッテルを貼り、
無知を良しとするようなやり方は、人間の可能性を閉ざしてしまうものです」
「なるほど。つまり例え世に害悪を為しそうな知識であっても、
知識それ自体に原因を求めるのではなく、他の要因に原因を求めるべきである。
それがあなたの考えと理解して宜しいのでしょうか」
「若干異なります。知識それ自体に原因が存在する事もあるでしょう。
ですが、それでもなお、知識それ自体を責めるべきでないというのが私の考えです。
知識を有し、それに惑わされない状態こそ『より良い状態』なのだと思います」
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