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▼ネヴァモア教皇:
>・アースのNLへの降臨、あるいは、その声を聞くこと
(中略)
>私は当面、タワー100階にて祈りに専念する事にします。
了解しました.
国の経済値の兼ね合いもあるのですが,私も可能な限り祈ります.
ちなみに,私的見解ですが.
我々にとって「アースの意思」は必要なものでしょうか?
私としては「アースの意思」は必要では無いと思います.
何故なら,我々の目標は「神を目指す」であり,
「神の使徒として神の御心を世に伝える」では無いはずです.
リアル世界の一般的な宗教とはその点で異なります.
(彼等は神の御心を現世に伝え,神の使徒として生きることが教義にはいっていたはず)
つまり,「神を目指す」我々にとって,その神:アースの意思は,
必ずしも必要なものではないと思われます.
我々は聖神アースの代弁者では無いのですから.
もちろん,聖神アースの意思を無視するという意味ではありません.
ですが,神を目指すのならば,精神的に神から独立することも必要であると考えます.
我々の信仰は,「聖神アースを目標に精進する」であって,「聖神アースの意思に従う」ではないはずです.
我々が目指す存在である聖神アース.
その御心は,しがない人間である我々には理解できないかもしれません.
だからこそ,聖神アースの意思がどうであれ,我々は我々の道を堂々と進むべきかと思われます.
ゼロスパイアらの失策は,その点にあると思います.
彼等は,神を目指しながら,神の意思に翻弄され,結果として神になれなかった.
今回はたまたま「聖神ゼロアース」と名乗っていましたが,もしあれが「聖神アース」を名乗る存在(本物でも偽者でも)であった場合,
アース教会が神の意思に従う集団であった場合,ゼロスパイらと同じ道を辿っていたかもしれません.
何が言いたいのかというと,私にとって聖神アースは「目指すべき存在」であり「敬うべき存在」ではありますが,
もし,「私の思想と相容れない行動」を取った場合,その時こそ私は不遜ながらも「神を超える時が来た」と判断し,
そのような行動を取ると思います.(弟子が師匠を超える時みたいな感じに取っていただきたい)
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