アース教における神の定義

よく神のイメージとして持ち出されるのは「人知を超えた絶対の超越者」である。 しかしアース教においてはこの定義を採用しない。 アース教の「神」は、その「超越者」と我々一般の「人間」との中間点に位置する存在である。 「超越者」を頂点とし、「人間」を下層としたピラミッドを想定して頂けると判りやすい。 その人間の上、超越者の下に位置するのが、アース教の言うところの「神」なのである。

では何故「神」を「完全な存在である」と定義することを私は拒むのか。
それは、人知を超えたまさに絶対なる存在を、果たして我々が言葉で語り得るのだろうか? という私自身の疑問から起こっている。 つまり、ここでそうした絶代なる存在を「超越者」と仮に名づけるとする。 しかし、名づけるという行為は了解するという意味合いを持つ。 果たして私達の認識を遥かに超えた存在を「了解する」ことが可能なのか。 了解できたらそれはその時点で「超越者」たりえないのではないか。

だから私はそうした絶対の存在を「神」と、いや、他のどんな言葉で呼称することをも拒む。 ここでは私は「超越者」という言葉を用いているが、 それはあくまで論議のための便宜に過ぎない。

「語り得ぬものには、沈黙せねばならない」。

そして、全く考慮できない存在を崇めることに意味があるとは私には思えない。 少なくとも現実に生きる我々の心を救う宗教の、信仰の対象としては相応しくないと考える。 敢えて「神」を有限の存在と定義し、そこから教理体系を組み立てるべきである。

またネバーランドにおいては古くから進化した存在を「神」と呼んでいる習慣があり (例:コリーア、イプシロン)、そういった現実を踏まえた場合、 「神」の定義としては私の言うような定義の方が判りやすいのだろうと思う。

まとめると、少なくとも私の、アース教会の言う「神」は有限の存在である。 有限の存在を崇め奉ることの意義は何か。その辺りは今後更なる研究を要されよう。

以上が私の、アース教会の神の定義である。






(補足)コリーアについて
かつて空より高き所、天界より常に下界の様子を見守っていたという聖神。 世界の全てを管理するとされている万物の創造主にしてネバーランドの主神であり性別や年齢を超えた存在であった。 種族を超えた信仰を受け、単に聖神とも呼ばれた(現在のアース神のような存在?)。

元は人間の女性が強制進化を重ねた姿であるとも言われ、アース神の力を恐れ、 呪いをかけ封印したのはかの神によるものである、との説があるが、詳細は不明。

国名「コリアスティーン」の由来。かつて、「コリーア正教」はシリニーグの国教であった。


(補足)イプシロンについて
コリーアに忠実に仕えていた知恵と冒険の神と伝えられる。 己を高める者を導くという。その属性ゆえに、危険に挑む冒険者たちが崇めていることが多い。








執筆 教皇ネヴァモア





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