アース教RP指針



1.IF設定を大切に
アース教はIF設定の上に成り立っている点で、今後世界の主役になり得る可能性を秘めています。 もしアースが降臨して世界戦争を仕掛ける事があれば、まさにその時こそアース教は世界の主役として活躍する事ができるのです。 これは他の凡百の宗教や団体には無い、私達の強みです。

しかるにアースはIFの創造物です。つまりアース教というのはIFの設定の上に乗っかっているのです。 ですからIFの掲げる世界設定にはあくまで忠実でなければなりません。 極端な話、IFが「アースは女性だった!」と言い出せば、私達は有無を言わさずそれに従わねばなりません。

但し、この事は私達から想像の余地を奪うものではありません。 IF設定を元に、あるいはそれを傷つけない範囲であれば、私達が独自に設定を膨らませていくのは当然許されるでしょう (だからこそアース教というオリジナルの宗教を立ち上げるのも構わないのです)。 しかしその場合でも、もしIFが新しく付け加えた設定と接触・矛盾を生じる場合には、 私達は自分達の設定を曲げねばなりません。

このようにIFの設定は絶対であることを肝に銘じてください。

2.「成長=善」に異議を挟んではならない
アース教においての大前提、それは「成長=善」であるという事です。 ご存知の通りアース教は成長という概念を重んじています。 成長して神になることがアース教の目標であり、その根幹です。 しかし考えてみれば成長する事、そして神になる事が果たして善なのか。 それは盲目的に従うべき価値なのか、疑問が残ります。

だがアース教においてはその疑問は禁句です。 それはキリスト教にとって神の存在が絶対であるのと同じです。 アース教は「成長=善」という観念を無条件に肯定しないと成立しません。 まさにこの点があるからこそアース教=宗教なのです。 宗教と哲学を分ける点は、無条件に肯定すべきドグマがあるか否かだと思います。 アース教にはそれがあるのです。だから「アース教」です。

RPの手法として「成長=善」に疑いを挟むのはアリだと思います。 「一信徒がある時この観念を疑う。そして……」というのは 中々「美味しい」役どころであるのかもしれません。 勿論、そういったRPを展開する場合は、周囲から強い攻撃を受ける事になりますが。

3.ネタとシリアスは分ける
これは私も偉そうな事を言えた義理ではありませんが、 ネタとシリアスなRPとの境界ははっきりさせましょう。 NLにおいては私達はそれこそ「本気で」アース教という宗教を信仰しています。 真面目に信仰している限り、そこにはネタの入り込む余地はありません。 少なくともRPという舞台に立つ以上、私達は徹頭徹尾真剣な態度を貫くべきです。

尤も、RPを離れた場所であればそこまで厳密に固執する必要は無いと思います。 それはこのゲームの特質上、致し方ないでしょう。

4.アース教とは……
最後に、これは他の三か条とは意味合いが異なるのですが、 私達PLにとってのアース教って何でしょう? それは、「RPなりキャラに深みを与える『共有』の設定」だと思うのです。 この『共有』という点が凄く重要だと思います。 一人で「俺は○○で……」と言っているだけでは、 所詮それは独り善がり、単なる自称最強とさして変わりはありません。 ですがそうした設定に共感したり、設定の背景をより深化させるような人がいれば、 それは独り善がりを超えて、魅力ある設定になります。

アース教はそうした魅力ある設定――PLのための道具でありたいと思っています。 確かにアース教というのは私の言い出した設定であります。 しかし「私だけの」設定ではありません。アース教という設定に共感する皆のための設定です。 私としては折角ある程度育まれた設定を、みんなで上手に利用して、育てていきたいのです。

例えるならば演劇の舞台装置みたいなものです。 私は生憎演劇の経験は皆無ですが、「このシーンの照明はもっと明るく……」 「ここの木は向こうに動かした方が……」みたいな具合に、 アース教もまた皆で作り上げていけたらと思っています。 ですから、「〜はこうした方がいい」とか「〜ではやり難い」といった意見があれば どしどし言ってきて欲しいのです。私も教皇などと名乗る以上は、 きちんと責任をもって意見なり指針を出していくつもりです。

但し、アース教はまた「思想」でもあります。 その根幹に関わる部分の改変に対しては安易にOKを出すつもりは、少なくとも私はありません。 そんなコロコロ変わる思想など安っぽいものに過ぎませんから……。







執筆 教皇ネヴァモア





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