【論争】アース教会・神滅騎士団ランシュバイク間 「神滅の是非について」 Vol.2

 154619: (1)に対するフーシェン氏の反論 ネヴァモア 2001/04/11 00:14:14 

神が在るということ、それが我らの不満なれば、
どうして神と話し合いを持てようか。
在ろうとする者と失くそうとする者と、
どこに交渉の余地があろうというのか。

然れども、試みに問う。
神と交渉を持てた者が、かつてよりこの世界にいたというのか。
神に陳情し、世界を改めさせた者がいたというのか。

交渉を持たぬは神。
ただ世界に君臨し、独善の剣を振るうのみ。
無法なるは神にして、我ら、これに応うるに剣を以ってす。
これ、正当なる戦なり。


 154620: (2)〜 ネヴァモア 2001/04/11 00:15:10 


アースがエンジェルであって我らと変わらぬ者であったこと、
ネヴァモアさまのおっしゃる通り。
然らば何故、アースは今、虚ろなる天宮にただひとり在り、
神を名乗って天地の総覧者然としているのか。
神とは、我らと立場を異にする存在にして、これを名乗るにおいて
アースは我らと同じ立場にあることを捨てたと考えるのが順当である。

さて、神なる者が我ら人の権利を尊重したことがかつてあっただろうか。
我らが神なる者の権利を尊重する謂れが果たしてあるのだろうか。


 154621: (3)〜 ネヴァモア 2001/04/11 00:16:12 


我ら、神を裁きにかけるの意図を持たず、然らば罪をあげつらうこと、ただ空し。
我ら、神なる存在の世界へ与えたる弊害を看守しえず、剣をとるのみ。

神なる存在の与える弊害については今後、きちんと言及いたしましょう。
その他の様々な「証拠」なるものについて、
当て推量のいい加減な誹謗中傷の多いこと、ごもっとも。
なれど、プロパガンダとは少なからずそういった性質を持つもの。ご理解いただきたい。
しかも、この程度プロパガンダとしてはまだまだ序の口かと。
そもそも、相手の人格や行為の総てにおいて、ありとあらゆる決めつけを行い、
それを材料に論難を吹っかけるのはそちらのお家芸。
我らはそれを真似してみただけのこと。いささか稚拙ではありましたが。

神が世界を狙うとは傑作。翼の呪いはいずれ何かの機会に。


 154622: まとめ ネヴァモア 2001/04/11 00:17:21 


1)交渉には相手と妥協が必要である。

2)権利を蹂躙する者の権利は制限される。

3)プロパガンダに確たる証拠を求めるは、幽霊の証拠を求めるようなもの。


 154624: ネヴァモア再反論 ネヴァモア 2001/04/11 00:18:13 


1)

私が言いたいのは、汝等はそう断言するに足るだけの行動を起こしていないという事。「交渉を持たぬは神」と言うが、そもそもその「交渉」自体全くと言っていいほど行っていない、行おうとしていないという事。なお今まで誰も出来なかったというのは何の理由にもならない。

第一、剣を持って襲いかからんとする者と交渉する気が起きようか?

>独善の剣を振るうのみ
だからその根拠を示せと言っている。

また、神という地位が気に食わないのであれば、その地位が失われた時点で汝等の目的は達せられるのだから、何も「滅ぼす」には至らない。
(アースが市井の人となればいいのだから)。


 154625: 、 ネヴァモア 2001/04/11 00:19:05 


2)

まず、

「神なる者が我ら人の権利を尊重したことが」無い。
          ↓(ゆえに)
「我らが神なる者の権利を尊重する謂れが」無い。

のであれば、

「殺人犯は人の権利を尊重しなかった(殺したのだから)」
          ↓(ゆえに)
「殺人犯の人権を尊重する必要は無い」

となるが如何か? そうだと言うならば論外である。
そういう考えがあること自体を否定はしないが、
いずれその者も同じ「人権を蹂躙する」道を歩んでいこう。

立場を捨てたからといって、道義的・社会的に正当とされたかつての立場内における権利を侵害していいという理由にはならない。


 154626: 、 ネヴァモア 2001/04/11 00:21:55 


3)

冗談ではない。初めからプロパガンダと認められては敵わぬ。
まして自らそれを用いると恥も外聞も無く述べるというのであればな。

私が問題にしているのは、「プロパガンダが証拠とされている」という事実である。つまり何らかの証明により行動の目的を定め、その補助としてプロパガンダを用いるのであれば――それは破廉恥極まりない野蛮な手法だと信じるが――まだ納得がいかぬでもない。

しかし汝等は自らでっちあげたプロパガンダを以って神の不当性を訴える根拠としている。これではどんな証拠でも挙げられてしまうだろう。

>そもそも、相手の人格や行為の総てにおいて、ありとあらゆる決めつ>けを行い、それを材料に論難を吹っかけるのはそちらのお家芸。

ふざけるな、侮辱も甚だしい。
いつかような真似をした。言ってみよ。

アースノヴァの例を持ち出すならば見当違いだ。何故なら汝等が今相手にしているはアース教会であり、このネヴァモアなのだからである。そして私はアースノヴァを認めていない。


 154627: 別件反論 ネヴァモア 2001/04/11 00:22:41 


「神があるゆえに人はそれを崇め、すがり、己が判断を放棄してしまった挙句、破滅する」といった言質をよく耳にする。この件についての反論を述べておく。話は簡単であるから簡潔に述べる。

「信仰は純粋に個人の精神から起こる行為である」
(神が何らかの強制力を以って信仰を強制させたのではない。また、我等も信仰を強制した記憶は全く無い)

ゆえに以下のように言える。
「純粋に個人による行為の責任を、神に帰すことができようか?」

例えば馬車で事故を起こした者がいる。そしてその責任を、馬車の存在に帰すことができようか? 馬車の存在は絶対悪である。この世の馬車を一掃せよ――だと言うのか? それは狂人だよ。


では信仰には何の意義があるのか? については後に述べる。


 154628: (1)に対するニコラス氏の反論 ネヴァモア 2001/04/11 00:24:20 


神への不満ゆえの神滅であれば、対話もありえようが…
我らの望みはアースという存在の否定、その意志への否定。

その存在そのものが理由であるならば、存在を賭けて戦うしかあるまい


 154629: (2)〜 ネヴァモア 2001/04/11 00:25:20 


神に意思がある故に、それを奪うは残虐と言う。
滅ぼすこと・殺すことが、すなわち悪と言うのか?

我らはこのネヴァーランドで戦をする。
汝らも国家を興し、戦をもって領地を広げる。

我らが反聖神の意思をもってアースと戦わんとすることと、
汝らが国の為に剣をとって戦に向かわんとすること、
それは、その対象が違うというだけではないのか?

まさか戦争で人は死なないなどと思っているわけではあるまい?
国を滅ぼし、そのアイデンティティを奪うことは、存在の意義を奪うことである。

我らだけが残虐であるような物言いは、納得できぬな。


 154630: (3)〜 ネヴァモア 2001/04/11 00:26:13 


強大な力、絶対の力をもつ者に対しては、
崇める者もいれば、畏れる者もいる。挑まんとする者も。
まして、神を僭称するのであればなおのこと。

そこに絶対の力をもつ存在がいるのであれば、
戦わんとするのも、また我らの業であろう。

汝の言葉ではないが、力の強き存在に対する憎しみや畏れは人の心にあるもの。
人が神を崇めることと畏れることが表裏一体であるとするなら、
我らが反逆の刃を神に向けることも、理解できぬわけではなかろうに。


 154631: ニコラス氏の意見 ネヴァモア 2001/04/11 00:27:35 


人と魔物と神が等しく存在を許されたのが、このネヴァーランド。

だが…

魔族が許せぬと叫ぶ者がいる。神に救いを求める者がいる。
覇権を求めて国を興す者がいる。神を倒さんとする者がいる。
そういったすべてが、この世界をかたづくっている。

力をもって己が意思を貫かんとする業が捨てられぬゆえ、
いまだに我らはあい争わんとしておるのかもしれぬな。

そんな我らの業ゆえに、滅せよ聖神アース。
そこには罪も罰もなく、善も悪もない。


 154632: 、 ネヴァモア 2001/04/11 00:28:20 


汝らの信ずるアース教とは、
ムゲンやネクスト、ヘルガイアを神とする、
純粋な自然への力を崇拝する原始宗教とは違い、
人の善性を教義とする宗教というように認識している。

アースノヴァの者らはいささか原始宗教的に、
アースを力ある神としてとらえていたようだが、
汝らはそれとは違う教義を持っていると思っている


一般的に、人の善性を教義とする宗教は、
信ずる者自身の善悪の観念が教義に反映される。

だが、汝らの神は世界に絶対の力を持つ存在として、
このネヴァーランドに顕現してしまっている。
汝も言う通り、彼の者は意思を持つ存在である。
自らの意志を持って存在する神、それは現人神というものだ。

汝らは神の意思を絶対とするのであろうか?
アースが自らの意志をもって行動する存在ならば、
汝らはアースのすべてを善とするのだろうか?
なれば、アースの持つ善性は誰が証明する?

善悪は、汝らが求めるべき命題であって、
神という力ある存在に委ねるべきものではない。
また宗教として、神に善性を求めるのであれば、
神は意思ある者として世界に存在せぬ方がよいだろう。


 154633: 。 ネヴァモア 2001/04/11 00:29:09 


我らが聖神アースを討ち滅ぼしたとしても、
それは汝らの神の喪失ではない。

汝らの聖神は、汝らの心と魂に生きるのだ。
その教えと復活への祈りが汝らを救うだろう。
神は世界からその存在・意思を失って、
真に神という存在になることもある。


奇しくもこの場は、アース教との論議の場になったようだ。
されど、我らは汝らの教義について知識に薄く、
そのまま論議を続けるのも、いささか礼を失しているように思う。

宗教の教義とは奥深きものとは思うが、多少なれど、ここで語ってみてはどうか?


 154634: フーシェン氏再反論 ネヴァモア 2001/04/11 00:30:00 


1)

交渉が無意味であるということは、すでにわたしやニコラスさんの語った通り。

>今まで誰も出来なかったというのは何の理由にもならない。
前例は信用の源、これこそが最大の理由になりうる。

>剣を持って襲いかからんとする者と交渉する気が起きようか?
何も単身、我らの前に姿を表すことはありますまい。
何のためにネヴァモアさま、あなたがおり、騎士団が在るのでしょう。
また、あなた方の好む表現に、神を親に例えますが、親ならばなぜ、
子の愚かな勝ち気を諌めにこられないのでしょう。
我らを恐れるというならばそれは、
神は我らを同等な者と考えているということではありませんか。


 154635: 、 ネヴァモア 2001/04/11 00:31:04 


>「独善の剣」について
アースが元々エンジェルであって、我らと同じ立場のものであったこと、
これまでにも語られてきたとおり。
然らば、彼が全能にして無謬なる者とどうして信じられましょう。
それにも関わらず彼は彼自身の信ずるところの善、正義なるものをして人類普遍のもの、
最も尊ぶべきものとして、人々に与えようとしている。
それを独善だというのです。
そして、そのアースの掲げるところの正義によって裁かれる者がいるとしたら、
つまり「独善の剣」が振るわれたということなのです。

もしアースがかつてより、彼自身の信ずるところの善、正義について何も語らず、
人々に何も求めなかったのだとしたら、「独善の剣」について、
それはわたしの誤解であった、と自説を取り下げましょう。
ただそのときは、アース教会が善や正義について語る時、
何故アースの名を持ち出すのかについて説明をいただくことになりますが。


 154637: 、 ネヴァモア 2001/04/11 00:32:16 


2)

>いずれその者も同じ「人権を蹂躙する」道を歩んでいこう。
権利が蹂躙されないことなどありえますまい。
ただどこまで侵害されることを許容するかがあるのみ。
許容しきれなくなれば、そこに争いが、
蹂躙する者を排除する戦いが始まるだけ。
神滅はそこに由来する。

>かつての立場内における権利、について
得るために捨てたのだと、我らは考える。


 154638: 、 ネヴァモア 2001/04/11 00:33:39 


3)

これについては負けを認めましょう。
おそらくこのままでは、無意味な口論になりますゆえ。

ただ、ひとつお聞きしたい。
どうやらネヴァモアさまは証拠というものが大変お好きなようです。

では、あなたがたがアースを信仰の対象に選ばれた、その根拠とは一体なんでしょう。
何を証拠にアースが信仰に足るものと判断されたのでしょう。
できれば、多くの信徒の方にお聞きしたいところですが、
それは望むべくもないのでしょうね。
「アースに対する敬慕」でもかまいませんが、できればそれ以外のものを。
情によらず、理によって論ずるに足るものを望みます。
また、アース自身のしていないことを彼の手柄であるかのように
あげつらうのはご勘弁くださいますよう。


 154639: 。 ネヴァモア 2001/04/11 00:34:25 


>馬車の喩えについて
この喩えが正しいとはとても思えません。
別の喩えをしましょう。
「あるところに麻薬に蝕まれた者がいる。その者は自ら望んで麻薬を購い、蝕まれた。
やがてその者は周囲の者を傷つけ、自らも深く傷ついた」
さて、ネヴァモアさまは全ての責任をこの麻薬に蝕まれた者に帰しますか。
麻薬や麻薬を商う者には一切責任がないと断言するのでしょうか。


 154643: Sein氏の反論 ネヴァモア 2001/04/11 00:35:13 


「神があるゆえに〜」
「個人の精神から起こる行為の責任を、神に帰すことができようか?」

うん、信仰をして破滅したから神に責任をとれとは言わない。
信仰は”人間の”自由だから、あってよいとおもう。
自ら信ずるもののために自ら落ちていってもそれは自らの責任。
でも、神の実在は必要ない。信仰の対象が実在の存在である必要は無いでしょ?

信仰の対象となるものが実在の存在であるということが許せないのだ。
自らの信ずる存在を信仰するのであればまったく異を唱える気はない。
私はね。
ただ、実在している神なんてものが、しかも自らの意思を持って
好きかってに影響を及ぼしうる神が、自らの信者にどれだけの
影響を与えうるか・・・・・。

神っていうものがただの信仰の対象である時はいいけれど、
実在の存在であるというのが許せない・・・認められない。
・・・神は実在してはならない。


 154644: 。 ネヴァモア 2001/04/11 00:36:09 


馬車そのものが悪いから一掃するなんてことは無くとも、
馬車の作り手が手を抜いてたり粗悪品で作ってたりしたら
問い詰めるヨねぇ?
まぁ、使い方が悪かったら、使ってたほう痛めつけるけど♪

・・・神ってのがさ、自由意志をもってるってことは、
世界に対する不正を自由意志で行なえる・・ってことだよね?
神が元エンジェル・・・つまり私たち人間と同じような心を
もつ存在だとしたら、神の心が悪に染まった時、
その影響力ってどういうものだろう?

そういうのが許せない・・・・信仰の対象としての神ならば
それはありえない・・・信者の心が作り上げたものだからさ。
だから神はいらない・・・認められないとおもうんだよね。


 154645: 終了 ネヴァモア 2001/04/11 00:44:37 


取りあえず上のように話が進んでいます。
で、私の再々反論を諸氏が期待して待っているという訳です(笑)。

こちらの判断で省いたりした意見もありますが、
別にないがしろにした訳ではなく、あくまで議論の簡略化を
計ったためであるとご理解ください。

明日にはまとめて意見を述べますので、
それまでに追加意見なり発言の補足なりあれば今のうちにどうぞ。
その方が私も手間が省けてやり易いのです。



……ああ、疲れた。
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