【論争】アース教会・神滅騎士団ランシュバイク間 「神滅の是非について」 Vol.3

 154655: 【1】…神たることの意味 アレリー 2001/04/11 01:10:54 


…この世界に於いて神とは心持つ存在であり、もとは人と同じき存在。
遠き過去の時代より、世界を司る大いなる力を得し者達に、神の名は継がれて参りました。
「人と同じき存在が、人を超えし者を名乗る」…
神を憎む者はそれを傲慢と為し、誅さんと欲すのでしょう。

されど。
憎悪と反感をその一身に受け、それにても神たらんとす彼等の意思もまた、
彼等が人と同じき存在ならば、測られ、論じらるるべきものにはございませぬか。
神が神たることを選びし因由と、その意味とを、人は…
神に牙剥く者にてあれ、崇める者にてあれ、知らんと欲しませぬのでしょうか。

 154660: 【2】神の責、人の業 アレリー 2001/04/11 01:29:01 


神は世界の全てを見つめ、世界の全てに干渉す者。
その力は、護るべきものを持つ人の全ての憧れ、願う力にございましょう。
愛する存在の全てに手を届かせ、迫る危機の全てより護らんと欲す思い…
その愛するものが、世界そのものと致せば?
世界の全てに手を届かせ、全てより護る…
その余りに重き責を自ら負わんとせし者の抱く思いとは、世界への愛の他ございませぬでしょう。

…かつてわたくしは、ひとつの国とその民との未来をこの背に負いました。
この身には過ぎし重責をそれにても望みしは、偏に、祖国への純粋なる愛故…
己は誰よりこの国を愛し、この国に全てを捧ぐこと能う者也、との自負故。
神の思いは、それに同じきものにてあらんとわたくしは慮ります。
世界を誰より愛し、誰より強き力にて世界に触れたきと欲す神の愛を尊ぶ故、
わたくしは、信仰の場に己が身を置いております。
信仰とは、思慮無き崇拝にはございませぬ。
神たる故に信ずるには非ず、神の意思を尊ぶ故に信ずるのです。

 154666: 【3】汝らの刃向けしは、愛の無力 アレリー 2001/04/11 01:44:48 


…されど、全てを負わんと為す者の存在は、人々に依頼心を募らせます。
そして、その者の力尽きし時、独り立てぬ人々は灯を失い、明日に迷うのです。
なれば、神の無力なることは世界への脅威たりましょう。
わたくしがこの身の無力故に、誰より愛せし国を失いし如くに。

神はその意思の気高き故に、信ずるに足る存在にございます。
しかし信仰の心を喚起す故に、時に人と世界とを脅かし得る存在にもございます。
人が、神をただ与う者と看做し、縋る心のみを向くるならば尚更に。

神が真に世界を負うに足る力無きと看做す者には、神は世界にとり害たる存在と映りましょう。
しかし、然様なる者も世界の一部たり、世界を愛す者なれば…
神は己の世界との絆を断ち切らんと為す彼に立ち向かいながらも、彼を愛しましょう。
いえ、神は彼を、そして世界を愛する全ての人を愛さねばなりませぬのです。
その人々の思いが、神たる己を滅ぼすことに向けられしと致せども。

 154670: 【4】愛深き者に愛を アレリー 2001/04/11 02:02:35 


神は、その恵み故に尊きにはございませぬ。
利益を神に求むは、世界を愛す彼の心に縋る人の期待に過ぎませぬ。
愛するが故、神は時にその声に応えも致しましょう。
しかし真に感謝すべきはその恵みへに非ず、神のその愛す心へにございます。
神は、人を救う者にはございませぬ。
神はただ、愛す者にございます。
なれば、信仰者は…神のその愛の報われんことを願い、神への愛を祈りと為すのです。
そして神の愛す世界が、神の心により深き喜びを齎さんことを願い、
愛を伝えんが為、善を為さんと努めるのです。

わたくしはアース神の僕には非ず、旧き神への愛を今に継ぐ者。
いまは邪神と為さるるその神もまた世界を誰より愛せしと信じ、その愛に報いんと欲す者にございます。
そして神たる者、神を愛す者の精神に、信ずる対象にての隔たりは無きこともまた信ずる故。
アース神を奉ずる者の代弁者たることは叶いませぬとも、神と、信仰との意味をお知り頂きたく。

…ご静聴に、感謝致します。
願わくば全ての人の心に、世界への愛が在りますように。

 154675: 私は ソフィア・トラスト 2001/04/11 02:29:25 


この世界の根本にあるものはアースであると私は思います。もしその存在をなくし我々が頂点に立つという事になれば様々な困難を招くでしょう。何故なら柱である存在がなくなるからです。彼らの活動に断固反対はしないけれど先の事を考えると私は怖くて神に逆らえません。たとえ臆病者と言われようとも・・・

 154709: 宗教的に見地とは違いますが・・・。 キクスケ 2001/04/11 12:12:55 


面白い話題だ・・。山籠もり中にこんなスレッドがあったとは・・。
前スレッド読んでないので被ったらすいません。
  
 アースとは果たして何者なのだろう。
 アースが元エンジェルであるなら、それは、魔族、ダークエンジェル、エンジェル、魔人、そして人間と同じ素から生まれたモノである。(前大戦を通じてこれらの種族が、人間を魔力変化させた種であることが明かされた)
 数千年もの間この大陸を操ってきた聖神コーリアは、神ではなくが人に等しいモノとわかると邪神として貶められ、その在を中心に置いたコーリア教は姿を変えなければならなくなった。
 そのコーリアに封印されし存在アースとは一体いかなるモノなのか?
 この世界に住む者としてその興味は尽きない。
 いま、私の所にある僅かばかりの彼に関する情報は・・・。
1.彼の者は天界に一人でいる。
2.彼の者は、神を名乗る人でもなければ、皇竜のごとき自然が具現化したモノでもない。
3.彼の者の出生地は、海に沈んだアースノヴァである。
4.彼の者の力を引き出すには人の魂が必要である。
5.彼の者の羽が漆黒の闇に覆われたとき世界は破滅すると言われてる。

 154710: 宗教としての神と、存在としての神。 キクスケ 2001/04/11 12:16:04 


 また、各国を流れていたときにアースを封印していた鍵の存在も耳に入って来たがそれが何を意味するのは現在の所不明である。
 取りあえず、彼の者に対する様々な見方のあるこのスレッド非常に興味深い・・・。

 155047: アース教について質問 グリッシーニ=スレイズフォルド 2001/04/12 10:10:56 


以前より論戦、大変興味深く拝見させて頂いている。
神を信じる者が、神と自分を根本的には同じ存在だと考えているとは、
アース教は、一神教にしてはめずらしい考え方のようだ。
(それはPL世界でいう仏教や孔子崇拝のような考え方、ということか?)

アースは今、現実に存在し、なおかつ自ら神を名乗る者ではない、ということのようだ。
そして、あなたはアース教は自らの善性に主点を置く宗教だと言う。
ということは、アースはあなた方に祭り上げられた、ただの置物ということか?

私は神滅派でもアース教派でもないが、気になったので。

 155049: 追加 グリッシーニ=スレイズフォルド 2001/04/12 10:19:02 


さらに疑問
もし自らの信じる神が、自らの善性に反する行動をとった場合、
どうするのか、お聞かせ願いたい。

拙い知識による、拙い文ではあるが、その点はご容赦を。

 155068: 神を信じる(崇める)意味 ネヴァモア 2001/04/12 11:51:47 


非常に語るべき内容が多岐に渡り、正直どこから手をつけようか悩む。
取りあえず問題となっている「何故神を信じるのか」という問いから
答えていくことにしたい。

正直今まではアース弁護のあまり微細な内容に入りすぎていた感がある故、こうした最も根本的な質問に答えることは必要であろうと思うからである。

 155070: アース神とは ネヴァモア 2001/04/12 11:58:59 


まず私の考えるアースとは上で述べられている通り、本質的に我らと変わらぬ存在(元種族エンジェル)である。それは資料から明らかなので批判の余地は無い。

とは言えそれは昔の話であり、今は純然たる力を持つ存在である事も否定できない。さすれば全く我等と同一という訳でもなく、アースに何らかの超越性を認める事もできよう。

このようにアースとは人性と神性を併せ持つ存在であり、従ってアース信仰とはいわゆる「絶対的な帰依」ではなく、己が良心を基礎とする信仰と見なしても大きな問題は無いだろう。その点でまさしく仏教的であり、グリッシーニ氏の意見は慧眼であると思う。

 155073: 信仰の意味 ネヴァモア 2001/04/12 12:08:08 


では何故アースを中心に崇める必要があるのか。単に己が善性を基礎とするならば、何も他の存在に信仰の基盤を与えず、まさにフーシェン氏の言う「あなた自身の名と、心と、言葉で人々に安らぎと導きを与えるべき」ではないかという問いも起こってこよう。

それは自然な問いであり、今まで私が述べなかったのは過失である。本来ならばまっ先に宣言してしかるべきであった。

勿論信仰の理由とは……個人によって様様だ。何故なら結局信仰とはごく個人的な行為(つまり主観的)であるから、いくらここで論理を重んじて語っても結局は客観的にはなり得ない。

(但しいい加減な勝手な主張を防ぎ、不毛な主張の言い合いを防ぐためにも論理と証拠の重視は欠かせない。私がこれらを重んじるのはそうした考えからである)

だからここで述べるのはあくまで「私の考える」アース信仰の意味と解して頂きたい。

 155074: 、 ネヴァモア 2001/04/12 12:16:54 


私はアース教の根幹には「愛」を置いている。この愛とは可能な限り広い意味での(つまり狭い範囲に収まらない)愛である。

人が何かを欲するのも、言い換えれば自分を「愛している」からに他ならないのではないか。そして人が自分を愛するように他人を、世界を愛せれば、それは今よりも理想的な世の中にならないか。かく考えて私は愛を重んじる。だが取りあえずこの話は置いておく。

では何故「愛」の重視とアースが絡んでくるのか?

 155076: 、 ネヴァモア 2001/04/12 12:28:20 


それはアースがある意味「最も我等から遠い存在」だからである。

これは一般の考えからすれば違和感があるかもしれない。「何故『遠い存在』」なのか。まずは近い存在から愛するべきではないか?」と。

しかし私は遠い存在こそ愛せよ、と言いたい。何故なら遠い存在を我が事の様に愛せるものは、きっと近い存在……隣人、自然、など……をも愛せると信じているからである。

近き存在への愛の重視は独善と排他を生みやすい。何故ならそこには「どこまでが近いか」といった問いが内在されているからであり、線引きへと転化しやすいからである。

しかし愛の対象をまず「遠い存在」言い換えれば超越者に置けば、その射程内(妙な言い方だが)にはあらゆる存在が含まれているのである。

勿論この教えにはいわゆる「上ばかりを向いて下を向かない」といった状態を引き起こしやすいといったデメリットもあろう。それは避けるべきであり、私も常に気をつけねばならないと思う。

これが私がアース信仰を重視する第1の理由である。

 155077: 信仰の意味(2) ネヴァモア 2001/04/12 12:32:46 


……は、時間が無いので夜までお待ちを。
レスはそれまで待って頂きたい。

毎回もたもたして申し訳ないと心から思います(笑)。

 155287: 上げ フェンリル 2001/04/13 00:52:16 


特に神滅の理由がなくなっている俺にはコレぐらいしか…(駄目)

教皇殿>
マイペースでどうぞ。俺ら一同、基本的に貴方の味方だ(笑

 155333: 団長に同じく ハザード 2001/04/13 03:05:21 


>ネヴェモア殿
興味深く拝見させていただいてますよ。
前スレからの文章の転載等々、お疲れ様です、そしてありがとうございます。
どうぞ気にせずに、ゆっくりと自分なりのスペースで進行させていってくださいm(__)m
では(笑

 155957: 深く感謝を ネヴァモア 2001/04/15 03:49:57 


何だか一番自分が受け入れられているスレの気が……(笑)。
口角泡を飛ばす論争の場なのに心が安らぐ(笑)。

さて、あまり皆様をお待たせするのは甚だ心苦しいもの。
そこで以前に私の書いた教説集1、2巻を読んでお待ち頂きたい。
一月ほど前に書き、アイテムとしてのべ40部程売れた書です。
まんざら本題から逸れた内容でもないので参考にはなるでしょう。

http://homepage2.nifty.com/epitaph/kyousetu1.htm
http://homepage2.nifty.com/epitaph/earth2.htm

 156211: ありがとうございます フーシェン・ルーカ 2001/04/16 01:03:52 


>ネヴァモアさま
まずは前スレからの転載ご苦労さまでした。

教説集拝見致しました。
じつは教説書を買おうか買うまいか悩んだものだったので、
けっこう嬉しかったりします(笑

じっくり勉強させていただきますね。

 156651: 再開 ネヴァモア 2001/04/17 14:16:01 


考えてみると理由2は本題から逸れそうなので割愛させていただく。
いずれ教説集の続刊にて語ることとしたい。

で、弁護を続けようと思う。

 156652: 神の実在について ネヴァモア 2001/04/17 14:21:21 


見るところ思想的側面に対する反論はされておらず、専ら神の「実在」という点が問題とされていると感じる。

確かに神が実在する、意思を持つ存在であるという事は、ともすれば変貌を遂げて我らに仇なす存在にもなり得るという事だ(私はそれを信じない。が、これは信念であって、可能性自体は否定できない)。

なるほど、その点で神滅は一理ある。
しかしそれでも私は神滅に同意を示すわけにはいかない。

 156725: 、 ネヴァモア 2001/04/17 19:50:06 


まず繰り返しになるが、私は交渉というプロセスを重視すべきという立場を変えるつもりはない。何故なら滅ぼしたものは二度と蘇らないからである。

つまり、汝らの言う神滅を実行し、もしその結果取り返しのつかない事態が生じた場合、滅ぼしてしまった後ではどうにもならない。つまりその行為において「修正が効かない」。されば行使にあたっては慎重に慎重を期してしかるべきである。

 156733: 、 ネヴァモア 2001/04/17 19:59:33 


前例という言葉が出たが、やはり私にはその「前例」は貧弱であると感じざるを得ない。汝らの言う前例とは神が何も言わないということであって、我々が交渉を望み、それが撥ね付けられたという訳ではないだろう。

私はかつてアシュアリー氏が王位であった頃からこの世界にいるが、知る限り神滅という「結論」が先に立っていてそれに至る前段階としての議論・交渉は無かった。

 156739: 、 ネヴァモア 2001/04/17 20:08:40 


また、神を滅ぼした後に何が起こるかについても未知数である。極端な話――馬鹿げた話と思われるかもしれないが――アースはネバーランドの重大な秘密なり何なりを司っていて、その存在無くしてこの世界が成立しないという「可能性」も考え得る。

ここまで大それた話でなくとも、アレリー氏の言う通りアースが「この世界そのものを愛して」いるがゆえに世界に君臨しているとも考えられるのだ。

汝らは言おう。「余計な事をするな。例え世界を愛するが故の行為でも、だからと言って我等を裁く権利は無い」と。しかし何らかの状況的な制約によって、「やむなく」君臨しているという考えもできるのだ。

ここで話しているのはあくまで「可能性」の問題である。しかしこうした様々な可能性があればこそ慎重になるべきなのだ。


サイコロがあれば良い目が出る可能性はある。
しかしサイコロが無ければ良い目が出る可能性はゼロである。

 156741: 、 ネヴァモア 2001/04/17 20:15:27 


「しかしアースが存在し、裁きを続ける害は看過できない」
このような意見も当然あると思う。だが私は思うのだ。
果たしてアースの存在が、その排除を要求するほどに害あるものかと。

アースの裁きとは一体何か。それは私にすら良く分かっていない。が、それは果たして我等の権利を否定せしめる激烈なものであろうか。

確かにアースの裁きが下った途端我等の発言は却下される。しかし裁きは発言そのものの内容を否定したりはしないのだ。されば裁きとは言わば交通表示のようなもので、汝等の思うような不当なものではないのではないか? この点、今一度考えていただきたい。


 156743: 、 ネヴァモア 2001/04/17 20:21:46 


また、フーシェン氏が「独善の剣」という言葉で裁きを表現した。

しかし私の知る限り、アースが自らの価値判断をもって他人を裁き、その意に従わせしめた事は一度も無いはずだ。アースの名の下に正義や理念を振りかざした事があるとすれば、それはアースノヴァであり、我等アース教会である。

この件に関しては私達は十分に反省せねばならない。教会の方で不用意に「正義」「真理」なる言葉を用いてしまったこともある。
一つの思想が世界を救うなどと言うのは思い上がりなのだ。この点は深く胸に刻み、今後の布教においても心がけたいと思う。


しかしアースは何事も言わず、示さず。
かの神は沈黙の中、ただ天にいる。

 159463: 結論 ネヴァモア 2001/04/25 01:25:39 


何にせよ、やはり私にはアースへの憎しみが不当に強いように
感じられてならない。また、例えそれを置くにしても、
私は排除による安定よりも共存による平和を望んでいきたい。
だから私は神滅に反対する。

それは汝等が神滅にかけるそれと同様、強固な信念なのだ。

麻薬の比喩が出た。しかし仮に神が麻薬じみた存在だとして、
単に群生している麻薬の葉を、単に存在しているという事実を以って
邪悪と決め付ける考え方は賛同いたしかねる。
結局それを用いるのは人の心の正しさ如何ではないか。

あらゆるもの、毒とならざるはなし。

 159471: 最近思った事 ネヴァモア 2001/04/25 01:35:44 


あるいは……こうやって論議が続く事こそ、
この世界にとって最も良い事なのかもしれない。
何故なら神を信じる者、憎む者。
それが互いに自らの思想を高めようと競い合えばこそ、
そこに慎重さが生まれ、安易な盲信に走らずに済むのだから。

闘争こそ世界の本質とは良く言ったもの。
まこと、その通りなのかもしれない。

さればこそ、私は決して己が信念を曲げる事はできない。
例え神を信ずるが我一人となろうとも。

正しい裁判には弁護人が必要なのだから。

 159479: 最後に ネヴァモア 2001/04/25 01:44:16 


我等も何も盲信を要求するのではない。
まして世界がより良き方向に向かうことを期待する事、
汝等と全く同一である。

もしアースの本性が邪悪なものであれば、
その力を以って我等が世界に仇をなそうと望むのであれば
(もちろん私はどちらも信じてなどいないが)、
それが明らかになった、その時は……

……その時は、神を咎めるだろう。汝等と共に。

そういう意味では確かに私こそ、
「最も神を殺すべき位置にいる」のかもしれない。

 159485: 取りあえず ネヴァモア 2001/04/25 01:49:53 


ここで一旦私の発言を終わります。
きっと貴方方も色々言いたい事を溜めていたであろうから(笑)。

こちらが散々悠長にしてしまった分、私も幾らでも待つつもりです。
じっくりと意見して頂きたい。


真摯に議論に臨みし全ての者に敬意を表して。

 162535: 失礼ながら、再度質問 グリッシーニ=スレイズフォルド 2001/05/02 03:56:41 


ふむ、ネヴァモア殿の説明により、アース教がいかなるものか、
かなりわかってきた。感謝する。

ところでアース教は、戦争、及びそれに類する争いを含む戦いを
認めているのか、それをおききしたい。

 163302: 戦争に対する意見 ネヴァモア 2001/05/04 04:11:08 


その問いに関しては私がゼア帝国という国家の一員であることから
ある程度答えが予測できるものと思う。

私は戦争を、それに伴う殺人を、否定しない。

だがそれは無条件で肯定するの意とは異なる。

まず、私の考える教えとは基本的に個人単位の救済である。
一つの思想が世界を救うなどとは思い上がりだからである。
アースノヴァの悲劇を思い出すと良い。

戦争は忌むべきものだ。しかし、にも関わらず人は戦う。
その理由を、私は人が未だ成熟しきっていないからと考える。
では未成熟な世の中で、我々はどういった立場をとるか。

一つは果てなく理想を説きつづける道。
もう一つは妥協しつつも漸進していく道。

私は例え迎合主義と罵られようと、世人に誤解されようと、
後者の道を選んで確実に己が主張を続ける事に決めた。

私は間違っているだろうか。しかし思う。

安楽椅子の中で当り障りの無い理想論を説くよりも、
吹きすさぶ嵐の中で現実を見据えて説き続ける者の方が強い、と。


戦いの果てにやがて得るものがあると信じる。
それが答えである。

 164992: 遅ればせながら丁寧な回答に感謝、そして グリッシーニ=スレイズフォルド 2001/05/08 18:39:37 


私の質問のせいか、どうも議題がタイトルとずれてきてしまっているようだ。
アース教の教義について、言いたいことがないわけではないが、
ここでこれ以上アース教そのものについて語るというのも主題を外れている気がするし、
なにより、ただの揚げ足取りな議論になりかねない。
よって私はこれにて失礼させて頂く。
丁寧な回答に改めて感謝する。では・・・・
(なお、私が取り上げようとしていた点は、アースを信仰する理由が少々強引に感じたという点だ)
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